表題の件、ご報告いたします。
「パロディ」という言葉を辞書で引くと、
「文学作品の一形式。よく知られた文学作品の文体や韻律を模し、内容を変えて滑稽化、諷刺化した文学。日本の替え歌・狂歌などもこの類。また、広く絵画・写真などを題材としたものをいう。」*1
とある。替え歌という例は分かりやすい。
格好つけちゃってすっ転んでBaby
汗も涙も そりゃ才能さ
人生にパロディって思えたら
明日もきっと
笑ってキミと
過ごせるんじゃない*2
「人生にパロディと思う」ってどういう意味やねん。
この歌が解禁された日からずっと不思議で、「フルで聞いたら分かるか」「ドラマを見れば分かるか」と誤魔化してきたが、いよいよ発売日を迎えた。
結局のところの、「考えなければ分からない」と向き合おうと思う。
わりと人生忙しくて、ドラマ全話全集中で見れているわけではないし、この曲について話す雑誌も把握できているわけではないから、見当違いなことを言うかもしれない。
まぁブログってそんなもんです。
言葉の意味を深める
「パロディ」という言葉の意味は上記の通りだが、まず①ユーモアと②皮肉のどちらか、はっきりとさせておくべきだと思う。
日常にちょっとしたユーモア
という詩があるし、②ととった場合、これから5時間かけて深すぎる歌詞解釈を始めなければならなくなりそうなので、ここは素直に①で良い。
ドラマ2話の話をする。(もっと興味深い回があるのかもだけど見逃していたらごめん)
「パロディ」と「パクリ」の違いについてかなり突っ込んでいた。
結論、作品中では「パロディとパクリの違いは、愛があるかどうか」だとされている。(まぁ悶着は続くのですが…)
・パロディ:元となる作品に対して愛情をもってユーモアを加えている
・パクリ:元となる作品に対して愛情のないユーモアを加えている
私は、影響を受けた元の作品の作者に堂々と見せられるのか、コソコソやっとんのか、という違いだと考える。
ドラマを見ていて思うのは、「あなたがどれだけ"そう"思っていようと、相手は"そう"とは思ってないよ」の世界だということ。
世の中、白黒ハッキリすることばかりではなくて、歩み寄ることもあれば、別の蓋をすることもある。
「パロディ」って実はものすごく自分よがりだと思う。「自分の世界」の象徴で、自分が酔いしれるための自己満足。
まぁもっと深く調べようと思えば、本気になれる学問だと思いますが、このくらいにしておきます。
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これらを受けて、「人生にパロディと思う」の訳について考えます。
Live the life you love(自分が愛する人生を生きる)
これが最適解だと思う。
この詩、曲開始6秒で出てくる。最速。解答速報史上最速です。
例えば、「人生」という道が、この世に生きる全員に、全く同じ形・大きさ・長さで与えられたとする。これが「元ネタ」。
その元ネタに、あなたが思う「愛情」や「ユーモア」を加えて、それが「あなたの人生」だと思うことができたなら、それでいいんじゃない?
だってパロディだから。
要はこの歌において、「パロディ作品」が良いことか悪いことかを考える時間は特に必要ない、と着地しています。
パロディみたいに(Like a parody)自由に表現できる世界だって思えたら、気持ちが楽になりませんか?ってことかな、と。
Dirty なことほど Cleanに塗られて
という詩や、
悪戦苦闘した自己ブランディングで
という詩や、
どんなお悩みも 角度次第じゃ
So 満員御礼 Good Game
という詩から、この世の事象はすべて装飾であることや、自分しだいであることが想像できる。
守るべきものはなんだっけ
と迷うこともあるけど、
今日が最高とか言えたなら
明日はもっと Oh Yeah
自分の自分に対する評価で良いんだろうな。
いうなれば適当な人生、適当な応援歌かもしれない。だからこそ、
それでいいんじゃない
ね!それが良いんじゃない
という気楽さで終わる。
この歌のなかで断定の表現は一切使われない。
私は「適当」が好きだ。何なら「適当に生きよう」としている。
これが意外と難しくて、義務感や責任感の強い人がいるから世界は回っているし。
でもきっと誰もが「空気は読むもんじゃなくて、吸って吐くもの」になりたいはずで。
肩の力を抜いて自分らしく生きたら良いけど、まぁそうじゃなかったとしても素敵だよな、という域までいってしまうのが本物の「適当」だ。
この意味合いに納得した今、誰かに「人生はパロディだぞ」なんて言うのは的外れで、「あなたの人生がパロディでありますように」も違う。
「人生にパロディって思えたら、明日もきっと、笑ってキミと過ごせるんじゃない?」こそが、正しい使い方である。
まじでやっべぇミスをやらかしたときにこそ、鼻でこの歌をうたっていたい。
以上で報告を終わります。